こんにちは、ガネ子です。
簡単に自己紹介から。ガネ子、現在アラフィフ。第二子出産後、産後うつになりました。
処方通りの飲み方を守りましたが薬の副作用で、右半身に不随意運動が現れました。
うつは難治化遷延化し、4度の入院体験あり。配偶者のガネ夫は転勤族で、入院した病院は2ヶ所。
病院が違うと、こんなに違いがあるんだ、という経験を何回かに分けてお話ししたいと思います。
スマホの使用に関しては、なにぶん十数年前、ガラケーが主流な頃なのでどちらも持ち込み可能でした。
どんな状態で入院したか
A病院
近所の個人の心療内科で、医師の処方通り飲んでいた薬がさらに1錠増えたある日、右半身に突然不随意運動が現れました。
診察室に入った私の姿を見た途端、医師は「こりゃ、いかん」と言って、私はうつの薬を一気に止められました。当時は何も分からなかったけど、眠れない、動けない、狂いそうなくらい胸に押し寄せる不安。あの苦しみは一気に精神薬を断薬した時の離脱症状。
もう、ダメ。
医師の紹介で入院できる精神科病院Aへ入院となりました。
B病院
A病院のある市から別の市にガネ夫の転勤で引っ越すことになりました。
A病院で入院を繰り返すも体調は相変わらず底辺。引越し後は、家から一番近い個人の精神科に通っていました。不随意運動は残ったまま。
焦燥感が強く、家で何もせずに寝ていても、いたたまれない感じ。何かに一日中、気持ちが追い立てられています。
ふたりの子どもも小さく、育児も大変ですが、体が鉛のように重くて思うように動かせません。
義理の両親が手伝いに泊まりに来てくれているのですが、気をつかってしまい気持ちも休まらず‥かと言って手伝いに来てもらわないと子育てできない。
もう、ダメ。
転院してすぐ(2、3回の診察あり)でしたが、私の不随意運動やうつの良くない状態が印象に残っていたのか、具合が悪く電話口で名前を言っての相談で、すぐに入院した方がいいと、入院設備のある病院Bを紹介してくれました。
どちらも、小さな個人の病院からの紹介での入院です。入院する病院や、入院中担当になる医師を自分で選ぶなんてことはできません。
もう、ダメ
と思ったら入院してました。
何もかもいっぱいいっぱいで入院前の心情を一言で表すと、ままよ、でした。
子どもたちは退職している義両親がみてくれました。
入院期間
急性期の3ヶ月を過ぎると体調がよくなってなくても退院となります。短期間入院は患者のためもあるけど、ほぼ国と病院の都合です。
1日あたりの診療報酬金額が3ヶ月経つと低くなるので、3ヶ月たつと退院となるのです。でも、退院してまた3ヶ月たったらリセットされて診療報酬が戻るからまた3ヶ月入院できます。
私の入院期間はA病院で3ヶ月を2回、1ヶ月を1回
B病院で3ヶ月を1回です。
うつ病を発症して最初の3年の間にトータル約1年の入院を経験しました。うつ病歴は今年で18年。
ちなみに今は再発予防のためにレクサプロというSSRIを毎日(最近はよく忘れるけど)四分の一錠飲んでいますが、うつ病はほぼ寛解しています。
入院中にやったこと
A病院
作業療法士の方がいて、作業療法をする決まった時間に革でお財布を作ったり(レザークラフト)、ビーズ細工、編み物ができました。カラオケの部屋があり、使用の予約をして、歌を歌っている人もいました。
A病院、建物も綺麗で娯楽的なことは充実していました。
部屋にテレビはありませんが、廊下に出ると、大きなテレビと椅子、ソファがありました。
私はテレビもカラオケも音と光が苦痛で見たりやったりしませんでしたが、ただベッドにいても頭の中は休まらず、作業療法は希望してやりました。
狭いですが、陽の当たる中庭のような場所があり、日光を浴びて座ったり、歩いたりしました。
中庭と言ってもあるのは植えられたヒョロリとした数本の木と、コンクリートの人工的な地面。
ぐるぐるぐるぐる歩いていると、回し車を回しているハムスターになった気持ちになりました。
B病院
作業療法はありませんでした。
医師の外来診療が始まる前に、医師たちと入院患者が病院の近くの海や、山に散歩に行きました。
山ではバードウォッチングをしたり、海岸では貝を拾ったり、小さなお社で健康回復を祈願したり。
なぜか山を登る途中に畑があり、玉ねぎを植えたり、草を抜いたりもしました。
病室の窓のすぐ外には自然なままの裏庭がありました。
小さな畑にはスイカやきゅうり、トマトなどの野菜が植えてあり、誰かが水をやったりしてみんなで家庭菜園みたいに育てました。初夏で青々と草が生えていて色んな虫が飛び跳ねていました。
風雨と日にさらされ錆びたぼろぼろのベンチに座って担当の歳の近い女医さん(まだ研修医でした)とおしゃべりもしました。彼女とシロツメクサを摘みながら話をした時間を今も覚えています。
外への散歩も自由で、お昼に同室の子と病院の近所を散歩しました。
部屋にテレビはなく、食堂に小さなテレビがあり、NHKの連続テレビ小説の時間になると数人が集まって見ていました。
外泊、外出について
どちらの病院もかなり自由に外泊も、外出も認めてくれました。
外出して買い物に行ったり、子供の園の行事を見に行ったりできました。
入院が長く、退院が近くなると、家での暮らしができるか不安になるのでいきなり退院ではなく1週間のうち、家に戻る日数を徐々に増やしていって練習していました。
精神科だなぁと思ったこと
A病院
・薬は看護婦さんが持ってきてくれ、薬を手のひらに乗せてもらい看護婦さんの目の前で飲みます。
精神薬を嫌がって飲まない人、飲んだふりをして薬をためて多量服薬の事故を防ぐためですね。
薬が手のひらからこぼれ落ちたとしても、看護師さんがそれを拾ってふーふーしてほこりを払って普通に飲んでいました。厳重に管理され一錠がほんとに大切な感じでした。
床に落ちた薬を飲ませるなんて、と文句を言っている人もいましたが、これは仕方ないかな、と思います。
ころころ小さな錠剤が転がって落ちたら、さあ大変!
まずは転がり止まる先を目視で確認。完全に止まってから拾います。棚の隙間などに落ちて見失った時は大捜索になりました。
・食堂のお箸が一本見つからないと、職員総出で残業して探していました。
ざわざわざわと職員間で大騒ぎ。なんで?と不思議に思って、同室の入院歴の長い人に聞いてみたら、箸で目をついたり咽喉をついたりして自死する可能性があるからですって。
詳しいことは分かりませんが、その時はお箸は見つかったようで、職員さんは帰宅して行きました。
・午前2時とか3時とか、いわゆる丑三つ時、眠れない患者さんたちが頓服の睡眠薬もらうためナースステーションに足を運びます。時には2.3人列をなして待っていることも。
なので精神科病院のナースステーションは夜もいつも忙しそうでした。看護師さん、大変。
B病院
ここでは箸の本数を毎食後数えるなんてことはやっていませんでした。
建物の構造上、閉鎖された個室の病室にいる患者さんが、ドンドンッと壁を叩いているのが聞こえました。
自傷の危険があったり、病気の状態が非常に良くない患者さんが入るトイレ完備の鍵のかかった個室がナースステーションのすぐ近くにあったのです。
私が入院中、そこに入る人はまれでしたが、一度あり、時々叫んだり、壁を叩いたりしていました。
けれども数日すると落ち着いて、閉鎖された病室から出て私たちと一緒に食堂で食事するときの印象は普通のおじさんでした。
そういえばB病院、A病院のように夜中、頓服の睡眠薬をもらいにナースステーションに患者が並んでいたという記憶がないです。私自身、頓服をもらいに行った記憶がない。私が寝ていたからでしょうか。いや、同室の人のいびきがうるさくて眠れなかった記憶ならあります。
朝の散歩の効果だったのでしょうか。入院患者の数の違いでしょうか。たまたまでしょうか。
謎です。
それでは、今日はこの辺で。
次回、「医師の診察と治療」に続きます。
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